遺伝と技能

遺伝と生活経験
生物は、原初的種類に遡るほど、その形態や活動が遺伝子のあり方に大きく拘束される。微生物から昆虫や小型の動物に至るまで、その外形や行動パターンは、概ね遺伝情報の命ずるところに従っている。それゆえ、このような種にあっては、同じ種の中の様々な個体間に見られる外形や行動の違いは、遺伝子パターンの違いに基づくものと考えても大きく間違うことはない。
ところが、生物が高等化し、外界の様々な影響を取り込みながら生活するようになれば、同じ遺伝子パターンを持っていても、各個体が、環境・食物などにより違った外形を持つようになったり、個体経験のあり方により異なった行動パターンを身につけるというようなことが起こるようになる。食物・環境などの生活のあり方によって筋肉・骨・神経・内臓など身体諸組織が個体ごとに少しずつ変化していくのはもちろんのこと、記憶・認識のあり方も違ったものになってくるからである。つまり、身体・認識の可塑性に基づく個体差である。
さらに言えば、この可塑性に基づく個体差には二重構造がある。一つは、上に述べた個体間の相違であるが、もう一つは、個体の中での時間的変化である。日々の生活の中でも身体内の諸組織の新陳代謝が行なわれているわけで、その過程で、個体はライフサイクル(成長・老化)や環境の変化などに影響されながら、身体・認識のあり方を一生を通じて変化させていくことになる。すなわち、日々の生活が個体のあり方を作り変えていくという面を持っているのである。それゆえ、まとめると、特定の種の中の個体間に見られる差異は三重構造をなしていることになる。すなわち、
  1. 個体間の遺伝的差異
  2. 生活経験の違いに基づく個体差
  3. 生活経験に基づく個体内での時間的変化
である。
人間においては個体間の相違を個性と呼んでいるわけだが、人間の個性の場合、上の三重構造の中でも特に2と3が、他の動物とは比較にならないくらい大きな比重を占めているということに注意しておく必要がある。それは、人間の認識が生存のための必要性という制約から解放され、無限の自由性を獲得したこと、それから、社会生活を営むことにより、他の動物では見られないくらいに多様な生活環境と生活パターンを手に入れたことによるのである。
技能の習得
人間は、他の動物に比べて、誕生後に極めて長い養育期間を必要とし、また、その期間に、非常に多くの知識・技術を習得しながら成長することが常態化している。これは、人間の場合、その生活環境が、社会という集団の中で特定の文化・文明の産物に取り囲まれる形で形成されていったため、生まれ持って働く本能が大きく希薄化し、他の動物とは比較にならないくらいの知識・技術を後天的に学ばなければ生きていけないようになってしまったからである。
そして、この中でも際立っているのは、身体や感覚や知性の行使にあたって、無限と言ってもいいくらいに多様な活動パターンを技能化して身につけていくことができる学習能力である。もちろん、他の子育て動物にあっても、餌の取り方など生存にとって重要な技術を学習して身につけるというのはよく見られることである。しかし、人間の場合、生物体としての生存には直結しないような技術であっても、それを訓練によって身につけ、高度なレベルにまで能力化することができる。例えば、絵を描いたり、彫刻を掘ったり、楽器を演奏したり、特定のスポーツを見事にこなしたりするなどの技能は、それ自体としては、個体の生存に直接役に立つものではない。(それが、社会の中で労働としての評価を受け、対価を得るのに役立つ場合に初めて生存に役立つものとなる。)
この、生存にとって必要であるか否かに関わらず、特定の技術を駆使する能力を身につける(技能化する)ことができる、というのが人間の大きな特徴の一つなのである。もちろん、人間以外の動物でも、高等なものであれば、いろいろな芸を仕込むことはできる。その意味では、人間の技能習得に見られる柔軟性に類するものを、他の高等動物も萌芽的レベルでは持っていると言える。しかし、他の動物は、その進化の歴史の中で、人間のような文化・文明を持つ集団的生活形態(社会)を構成するには至らなかったため、そのような柔軟性が自発的に、また高度なレベルで、開花することはなかったのである。
また、技能化の過程は、身体の可塑的変化という点からも理解しておく必要がある。そもそも技能を身につけることができるのは、身体が細胞の新陳代謝を通じて変化していくことができるからである。そして、これは身体のあり方全体に及ぶものである。「学習」と聞くと、何か知的能力の向上のみをイメージしてしまうかもしれないが、技能化においては、脳細胞のシナプス結合の状態が変更・強化されるのみならず、技能駆使にかかわる筋肉・骨・内臓・循環器系など様々な身体部位が効率的に働くように作り替えられていくのである。このような全体的な作り替えは、一般に、一朝一夕に起こるものではないだけに、技能化の過程においては、当該活動の長期間にわたる繰り返し実行が必要とされるものである。