労働と娯楽

他の動物においては、その能動的活動の大半は、生存のための必要性を満たすために行なわれるものである。端的には、餌をとること、休息すること、危険を逃れることである。しかし、人間は、社会的生活を常態化することにより、他の動物よりずっと複雑化・多様化した生活を送るようになった。労働と娯楽の分化は、ある意味で、人間の最も人間らしい一面を見せてくれる特性であると言ってもいいかもしれない。

労働
労働とは、生存のための必要性を満たすための活動のことであり、その主要部分は、生存に必要な物資を入手するための活動である。その意味では、動物が餌をとる活動も“労働”と言えなくはない。ただ、動物においては、そのあり方は大枠において本能によって規定されている。加えて、個体が自分で餌をとり、(一部例外はあるが)自分だけでそれを食べてしまうのが普通である。従って、その“労働”形態は種ごとにほぼ固定されており、同じ種であれば、どの個体もほぼ同じ“労働”を行なう。集団の中で個体ごとに違った“労働”を行なったり、その形態が歴史的に変化したりすることはないのである。
これに対して、人間は社会的生活の中で、多かれ少なかれ分業を発達させ、人々が多種多様な労働を行い、その成果を共有・分配・交換することにより生活を維持している。そのため、個々人は、それぞれに専門化した特定分野の労働を行なっている。しかも、その分業形態・労働形態は、社会性昆虫の場合のように個体ごとに遺伝的・本能的に規定されたものではなく、個々人が教育と実践過程の中で時間をかけて身につけていくものである。人々は、その特定労働に習熟する過程で、それぞれの分野に必要な知識・技術を身につけながら、それぞれに違った能力を持つ個人として自己を創り上げていくのである。
また、人間の労働は文化的な性格を持つという点も忘れてはならない。人間は、生活物資の獲得の仕方を生まれながらに本能で知っているわけではない。特定の時代の、特定の地域にある、特定の社会の中で育てられ、教えられながら、必要な知識や技術を身につけていくのである。それゆえ、いかなる種類の労働といえども、特定の社会の中で受け継がれてきた文化に支えられたものであり、いかに個人が独創的な労働の結果として今までになかったようなものを創り出したとしても、文化の継承としての性格を免れることはできないのである。もちろん、その一方で、個人が労働を通じて新たな知識や技術を開拓し、既存の文化に付け加えていくということも起こる。時を経るごとに文化の社会的蓄積を大きくしていくことがあるというのも、人間の労働の大きな特徴である。
娯楽
人間の生活の中で労働が占める位置づけの重要性はあらためて言うまでもないが。しかしその一方で、進化史上、人間は、労働以外の活動を多種多彩なな形で展開するようになった唯一の動物種であるという事実にも注意しておく必要がある。他の動物は、厳しい生存競争に晒されているということもあって、生活の中の能動的活動時間の大半を生存のための活動に費やしている。つまり、活動≒“労働”と言っても過言ではない。ところが、人間は、社会を作り、協業や分業を通じて生活物資を集団で調達するという生活形態を獲得したことにより、それ以前に比べて時間とエネルギーに余裕を持つことができるようになった。活動時間とエネルギーの大半を生存のために費やす必要がなくなり、それを別の目的のために使うことができるようになったわけである。また、生存のための直接的必要性に捉われないで働く知的能力(認識の自由性)が大きく発達したために、労働とは異なった能動的活動を熱心に行なうことができるようになった。ここに、娯楽という非労働的活動が出てくる一つの契機がある。(ただ、例外として、一部の知的に高等で、食物獲得にあまり困らないという幸運に恵まれた種や、未だ労働能力を身に着けていない子供だけは、例外的に「遊び」という活動の時間を持つことができる。)
娯楽は、最初は単なる暇つぶしや楽しみであったり、自らの能力の限度の純粋な追及であったりしたであろうが、社会の中で、娯楽活動に長時間を割くことができる人々が出現し、また、環境・用具・技能が発達・向上し洗練されていくにつれて、様々な発展形態をとるようになる。体を動かすことは単に健康と一般的身体能力を向上させるのみならず、戦闘能力の向上とも結びつき、やがて様々な競技(格闘技・スポーツ)を生み出していくことになった。もともと集団の観念的統合を図るための儀式の随伴物であった音楽・舞踏・演劇などは、社会の物質的発展と歩調を合わせる形で、その娯楽性を徐々に開花させながら芸能として発展・確立していった。また、住居・衣服・道具などにおける娯楽性の発露であった装飾諸形態からは、絵画・彫刻・工芸品などが生まれた。
娯楽は、個人が純粋に楽しみでやる分には非労働的活動であるが、食糧生産が進み、社会の分業化と階層化が進んで、多様な労働形態の人々を養う余裕が社会の中に生まれてくると、その中で、スポーツや芸術の観賞を人々に提供することを生業とする人達が出てくる。人々が楽しみを求めてそういう活動のために物資やお金を出すようになるわけである。こうなると、スポーツや芸術も労働としての性格を持ってくる。つまり文明の進展に伴って、本来は非労働的活動であったものが労働へと転化するということが起こるわけである。